ジャムスポーツパラグライダースクール

インストラクター

hori

校長:堀 幸雄

  • 日本パラグライダー協会 パフォーマンスインストラクター
  • 日本パラグライダー協会 レスキューパラシュートリガーマスター
  • 日本山岳レスキュー協会 パラグライダーレスキュー「STAGE2」

 ■小学生の頃

みんなそうだと思うけど、この頃の自転車って自分の夢をかなえる大切な道具じゃなかったですか?
普通に歩いてはいけない遠いところにでも自転車を使えば行けてしまうから。遠くに行けば行くほど自分の世界が広がっていく気がして、毎日夢中で漕ぎ続けていました。
そうそう、一番すごかったのが2時間かけて行った海。
家からだと2~3回は山道を上り下りしなきゃいけないハードな道程だったはずなんですが、そんなことは子供の行きたいっていう気持ちには関係ないんですよね~。急なのぼり道を汗を流しながら自転車を押して、下り坂では全速で駆け下りる。汗がスーッと引いていってぞくぞくするほど風が気持ちいいんですよね~。

「あの時の爽快感って今パラグライダーをやっていて感じる感覚と似てるなぁ」ってよく思います。

このころはホントてなわん(やんちゃな)子供で、父親によくぶん殴られていました。
反省の色がない時は家の裏にある小さな蔵に軟禁されるんですが、あるとき2階の窓が開くのを発見し、そこから飛び降りて逃走を図りました。窓を開け、地面までの距離を図り、心を決めて思いっ切りジャンプ!

初めて空を飛んだ瞬間です!?

偶然下にいたおばあちゃんが、両手を広げ目を見開いて何か叫んでいる姿を、宙を飛びながらスローモーションで見ていた記憶があります。おばあちゃん、あの時はゴメンね、さぞかし寿命が縮んだろうね。
でもあの瞬間、すっごく気持ちよかったんだよなぁ。

 ■パラグライダーと出会ってから現在まで

初めての就職は看板屋。でもいつの日か小さい頃からの夢、空を飛ぶことを本格的に実現させたいと思っていました。出会いは看板修理の際立ち寄ったサーフショップ。同行していた人から「ここはパラグライダーのスクールもしているみたいよ」と聞いて早速話を聞きに。
その日には入校を決意していました。

始めた当初はまだパラグライダーが日本に入ってきて間もない頃で、スクールもまだまだこじんまりした感じでした。
でもそのぶん、関わっているみんなは、一緒にこのスポーツを有名にしよう!という活気がありました。今とは違う山奥の小さなエリアで飛んでいたんですが、のんびりとした時間の中、大自然と空を大いに満喫していました。何年かしてからスクールを手伝ってみない?と誘われ、転職。試行錯誤しながらも、飛びたいという人たちの夢をかなえてあげる魅力にとりつかれていきました。

途中スクールのオーナー会社がパラ部門を閉鎖するという事態がおきましたが、閉鎖したらもう福井県にはパラグライダーを学べる環境がなくなってしまう!ということで一念発起。スクールを引き継ぎ独立して経営することを決意しました。周りのみんなの協力もあって何とか今も続けています。

初めて空を飛んだ人たちの笑顔が大好き。本当にとてもうれしそうな笑顔でとっても印象的なんです。
自分が飛ぶことも、人が飛んでいるのを見るのも大好きで現在に至る。